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生きる目的

自己満で社会に貢献できる形が理想的

 

今回は少し視野を広げて、生きる意味を考えたいと思います。

 

お子さんのいらっしゃる家庭では、けっこう明確なのではないかと想像します。

 

お子さんが健やかに成長し、立派な社会人になることが、父親・母親にとって1番関心が高いこと(=生きる目的)なのではないでしょうか。

 

おじいちゃん・おばあちゃんであれば、、お孫さんがこれに該当するのかもしれません。

 

変な言い方になりますが、生物学的に見ても、子孫の繁栄が生きる目的というのは、とても合理的な話なのではないかと思います。

 

そこで、"お子さんやお孫さんの健やかな成長"という要素を外して考えると、ぼくたち・わたしたちの生きる目的とは何なのでしょうか?

 

個人的に落ち着いている答えがあります。

 

"自分が満足できる活動を通じて、社会に貢献する"

 

これがぼくなりの生きる目的です。

逆に言っても良いです。

社会に貢献できる活動が、自分で満足して実施できるものであること。

 

文章にすると1文になるのですが、捉え方というか、考え方は人それぞれ異なるかなと思います。

"自分が満足できる"というのは、自分が楽しいと感じる、自分の成長を感じられる、自分でやりがいを感じられる、そのような意味合いになってくるのかなと思います。

 

一方で、"社会に貢献する"というのは、自分とは違う他人にとって便益を感じてもらうことだと思います。

こちらも色々な捉え方・方法があると思います。

例えば、素敵なモノ・便利なモノ(クルマや家電・機器)を製作することで人々の生活を豊かにする、おいしい食事やスキルのあるヘアカットを提供する、テーマパークやゲームなどの娯楽を用意する。

 

人々の需要を満たす、という行為それ自体が社会に貢献することを意味するのではないでしょうか。

 

一般的には仕事やビジネスが、これらに当てはまるケースが多いとは思いますが、これだけには限らないと思います。

定時後や休日に行うボランティアやNGO活動がわたしの生き甲斐という人もいるでしょう。

 

前置きが長くなりました。

結局、何を言いたいのかというと、

 

決して1人で生きているだけでは、生きる目的を見出せない、ということです。

 

これは決して家族の話をしているわけではありません。

むしろその逆で、家族以外の社会と結びつき、誰か赤の他人にとって、"いいね"と思われる行動・活動を反復・継続的に行うことが生きる意義になると、個人的には考えています。

 

自分の性格からしても、周りの誰からでも好かれる人間ではないと理解していますし、むしろぼく自身も、誰にでも好感を持てる人間ではありません。

 

ただ、あの人がいてくれたお陰で、わたしの生き方・考え方が少し変わったのかな、と思ってもらえるような存在でありたい。

そう思いながら、ぼくは日々を生きています。

 

こーた