仕事をする目的
仕事をする目的は仕事に就く前に見つけたい
コータは就労してから10年ほどになります。
恥ずかしながら、直属の部下を持ったことはないのですが、それなりに自分よりも若い人たちを見てきました。
有名大学を出た優秀な若者が多かったように思います。
しかし人格はやはり、大学のブランドではなく、個人に立脚している、というのが偽らざる印象です。
という訳で、進学できなかったヒトや、志望校に行けなかったヒトは腐ることなく、有名大学や志望校に行けたヒトはおごることなく、人格を磨いてほしい、そう思います。
そして自分も人格を磨く努力をしなければ、と思う今日この頃です。
昨今、ブラック企業だ、ホワイト企業だと、ヒトに優しい企業の選別にうるさい世の中になっています。
確かに働きかた改革の名の下、企業が従業員を重視する経営に転換している方向性自体は間違っていないと思います。
それどころか、従業員を軽視するような企業はもう生き残れないような環境に変わってきているのです。
一時はバッシングを受けた企業も、今では教科書に載るようなお手本を目指している、といっても過言ではないでしょう。
翻って、従業員側の意識はどうでしょうか。
何も考えずに働いていれば給料をもらえる。
もし問題が起きれば、社会が粛正してくれる。
そんな考え方に陥ってはいないでしょうか。
今こそ、"働く意味"を個々人で見つめ直すべきときなのではないでしょうか。
社会で働く意味を問われる機会は、日常生活ではほぼ皆無です。
また個々人で、働く目的は千差万別でしょう。
正解もなければ、間違いもありません。
日本国憲法には"勤労の義務"が定められています。
良くも悪くも、何も考えずに働き始めた、という若者も多いのではないでしょうか。
かく言うぼくも、それほど大した考えもなく働き始めました。
しかし10年経って思うのですが、やはり"働く目的"は大事です。
仕事がイヤだ、というヒトも何人か見てきましたが、そんな人たちは特に働く目的がしっかりしていない印象を受けます。
日本の教育課程は、"勉強すること"が勉強の目的となっており、手段と目的が一緒になってしまっています。
そうではなく、勉強を通じて、これがしたい、あれがしたい、と夢や方向性を見出すのが、学生生活の本来あるべき姿だと思います。
企業だけでなく、従業員や教育機関、学生も変わるべき時だと思います。
こーた